千草張夫との出会い

■千草張夫はまるで牛乳びんの底のような分厚いレンズのメガネをかけていた。いつも無表情で廊下を歩いている姿は、どこか不気味さを感じさせていた。将来誰も、そんな彼と切っても切れない間柄になろうとは、まったく想像もできなかった。

 昭和48年3月末。桜の花も満開にはまだ少し早かった。ぼくは京都市内の予備校の寮「緑圭苑」で、初めての独り暮らしを始めていた。翌年の大学入学を目指しての浪人生活を始めていたのだ。千草とはそこで出会った。

 100人を超す大所帯の寮であるが、ひとりに4畳半の1部屋があてがわれていた。部屋にはトイレもガスもない、ただ畳と半間の押入れがあるだけだった。
 親からの仕送りは3万円だったが、そのうち1万8千円が寮費だった。それには1日2食が付いていたから食べる心配はいらなかった。
 しかし3万円という寮費は予備校の学費と合わせると公務員の父親には決して安くはないものであったろう、とその頃の親の歳を超えて考えている。

 そんな親の苦労なんて考えもせずに自分の浪人生活は始まったのだった。